依存の依

人名で「依」を使うことはままあると思います。この「依」という字を見て、私がまず思い出す熟語は「依存」です。ですからあまりいいイメージを持ったことはありません。

確かに依存の依なわけですが、依子だと「ヨリコ」になりますね。依存というフレーズのパワーが強すぎますが、本来はどういう意味なんだろうとちょっと気になりました。

というのも、友人が出産したのですが子どもの名前にこの字を使おうとしているからです。

「依」という字は本来はとてもカリスマ的な意味のある文字なんだそうです。天の声をきく、というような意味もあるみたいですね。ただ、人任せのイメージが強いです。

古代と現代では捕らえ方が変わってしまっている文字だといえます。なんとなく感じたことは、本来の意味を際立たせるなら「崇高な孤独」という感じでしょうか。

昔でいうところのシャーマンや憑依される巫女さんやイタコ、という感じ。これはあくまで私の印象ですが。

これを友人に伝えると「私も字面がなんとなくしっくりこなかったから変えようと思っていた」と。私の調査が後押しになってしまったようです。責任重大です。

しかし全国にはこの「依」を使った名前の方なんて、それこそ誰かに依頼して調べてもらわないとわからないくらい、存在していることでしょう。

その人たちからすれば、この話は決して気分のいいものではありませんよね。

私は調べる前まではとにかく頭の中に「依存」しか出てこなかったのですが、何も本人が依存する人になるわけではありませんよね。頼られる人になることもある。

むしろ、この字の使い方ひとつでは、人の上にたってみんなを引っ張っていくリーダーのようなイメージにもなるな、と思い直しました。ちょっと考え方が変わりました。

字の歴史自体も長いみたいで、それなりに意味があり必要だから続いてきた字なのだと思います。

ですから、女の子よりもむしろ男の子に似合う文字なのではないかな、と思いました。漢字って難しいですよね。成り立ちと今の意味がまったく違うものもありますものね。

私の自分の字は「どこまでも広がる」という意味があるらしいですが、なんとも狭いデスクの上で毎日パチパチパソコンと対峙する日々です。

結局は名前は後からついてくるもの。結果論の話です。問題はどう生きるか、ですよね。

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気持ちの良くない朝

1日のスタートを気持ちよく切れないことで代表的なのは、寝坊してしまうこと。ハッと気づいたら起きる時間を大幅に経過していたときの、どうしようもない焦りの気持ち。あれはいつ経験しても慣れないものです。慣れるほど経験するのもどうかと思われそうですが…。

寝坊以外にも、朝にありがちな嬉しくない出来事はいろいろあります。

普通に歩いているのに、何かおかしい。もしかして…と思って靴の裏を確かめてみると、べったり張りついたガム。私は自分がガムを踏んでしまったことよりも、噛んだガムが道路に落ちていたことの方に悲しみを感じます。

そのまま道路に捨てたり吐き出したりすることは、言うまでもなくマナー違反。それを平気な顔で犯してしまう人がいるなんて…。

1分1秒を争う朝は、急ぐあまりに階段や道路でつまづくこともしばしば。つまづいただけならまだしも、豪快に転んですりむいたり打撲したりしたらなお悪い。それも誰かに目撃されていたら、救いようがありません…。

ケガをしたけど誰にも見られていないのと、つまづいただけだけど見ている人がいるのと、どっちの方が落ち込むでしょう。私ならケガをする方が嫌です。人前で転んだのなら笑ってごまかせるけど、ケガをしたら笑ってみても痛いのは痛いので。

着ていくつもりだった服を、洗濯カゴの中に見つけた朝。ちゃんと確認していなかった自分を恨みます。面倒くさいから洗濯カゴの中から取り出して、もう一度着る…という人もいたりして?アイロンがかかっていなくて、シワくちゃになった服も悲しいですね。

忙しくバタバタしていると、ゴミを出す日だったことを忘れてしまう朝もあります。覚えてはいたけれど、時間に間に合わなかったという場合も…。また次の収集日までゴミを置いておくのは切ないけれど、決まった曜日や時間外に出すのはタブー。ご近所迷惑になるので、絶対にやってはいけないことです。

人に迷惑をかけるのでやってはいけないことといえば、朝早くの大した用事でもない電話やメール。自分が起きているからといって、相手も起きているとは限りません。急ぎの用事でもない限り、早朝のどうでもいい電話やメールは安眠妨害。メールならまだしも、電話はダメですね。